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企画展示室

没後30年・小貫政之助 語りえぬ言葉

《鳥と女》1960年代 ミクストメディア
 

画家・小貫政之助は、1925年、旧・東京市京橋区に生まれました。幼少期から画家を志していた小貫は、画塾や研究所で学んだのち、1943年に太平洋美術学校を卒業、画家としての一歩を踏み出します。第二次大戦中は軍需工場への徴用や陸軍への召集も経験しますが、戦後は同世代の作家たちの影響も受けながら意欲的に制作、読売アンデパンダン展や自由美術展などの場で発表を重ねていきました。しかし、反安保デモや反戦運動への参加を経て、1960年代後半には次第に世の芸術運動から距離を置くようになっていきます。美術団体のあり方にも疑問を抱き、1968年には所属していた自由美術協会を退会。以降没年まで無所属のまま、小貫の言葉を借りれば「孤独な精神作業」としての制作に没頭し、自らの存在を「証言」するごとく画面に向かい続けました。

小貫においてしばしば注目される主題は“女”です。画業の初期からさまざまな女の姿をとらえ、後期にはひとつの様式美に昇華させています。一方で、生涯にわたっておびただしい数の自画像を描いているのも注目に値します。このほか、風景、花、魚など小貫自身の日常生活とかかわりが深いものを題材とした作品や、さまざまな技法をもちいた版画、材料研究のための試作などが多数のこされています。

直木賞作家・黒岩重吾(1924-2003)との親交も印象的です。黒岩の希望により『蒼ざめた虹』(新潮社、1970)の装画として使用されたのをきっかけに、その後の多数の黒岩小説を小貫の絵が飾ることとなりました。小貫にとって黒岩は、多くを語らずとも通じ合う、貴重な友人のひとりであったといいます。

下町育ちで、いわゆる“江戸っ子”の気風をもっていた小貫ですが、常にお洒落に気を配り、言動も小貫流の美学にもとづいていました。そういった姿が人びとに良くも悪くも強い印象を与え、ときに誤解を生むことにもなりましたが、実際の小貫は、心の内に埋めがたいものを抱えていたようです。家族との関係や身近な人たちの死も、小貫の人生に影をおとしていました。小貫の絵は、年齢を重ねるごとに、独特のマチエールや、小貫ならではの技巧・様式がきわだっていきます。硬質な感触の画面の奥には、彼が語りえなかった多くの言葉が込められているようです。

小貫が世を去って30年を迎えた今夏、これまで公開されることのなかったスケッチや習作を含めた約100点によって、画家・小貫政之助の仕事を再考します。画面にしるされた小貫の“語りえぬ言葉”に向き合いつつ、画家として生きるということの奥深さを感じていただけたら幸いです。

 

《風景》1954年 油彩、キャンバスボード

 
【関連イベント(②③は事前申込制・詳細は→こちらをご覧ください)】
 
①スライドトーク「小貫政之助がのこしたもの」
 講師 展覧会担当学芸員
 日時 8月12日(日)13:30より15:00頃まで 
 
②講演会「現代における小貫政之助の意義」
 講師 宮田 徹也(嵯峨美術大学客員教授)
 日時 8月25日(土)14:00より16:00頃まで 
 
③ワークショップ「挑戦!小貫政之助の版表現」
 講師 展覧会担当学芸員
 日時 9月8日(土)14:00より15:30頃まで 
 
 
 [妙子二態]制作年不詳 インク、水彩、紙