愛と勇気と、お金が少し

                                  書いた人:スピカ
 武蔵野文化事業団では正月に恒例となっております新春企画として初笑い武蔵野寄席がお隣の武蔵野公会堂で口演が予定されております。中でもトリは春風亭小柳枝師匠の「芝浜」であるとのこと。また2月には武蔵野芸能劇場でこの芝浜を下敷きとした江戸糸操り人形結城座の「芝浜の革財布」が上演されることとなり、まさに作品の世界を二重に楽しめる企画となりそうです。なぜ、年始に芝浜なのかというと、これは年末には借金取りが催促に来るから―江戸の昔は、納め時はまさに年末と相場が決まっていたわけでして、お金を返済して、よい1年にしましょうよというような暗黙の願いが込められているのでした。そう、芝浜というとやはりお金の話になってしまうのであります。

どちらかというと、すぐお金の話を持ち出すのもあまりよいものではありませんが、ふと学生の頃に恩師に教えていただいた言葉にこんなことがあったのを思い出しましたので、今回はそれをネタにブログを書いてゆきたいと思います。

 「1億円持っている人が2人いた。羨ましい話である。しかし一方は嘆き悲しんでいるのに対し、もう一方は、これから何を買おうかとうきうきしている。いったい何故だろうか。――嘆き悲しんでいるのは、もともと10億円の資産があったのに9億円を騙し取られたばかりだといい、もう一方は、たった1枚買った宝くじが当選したばかりなのだ。」

 ここで何が言いたいのかというと、世の中の価値の相対化であって、世の中、足りない、足りないと感じる人のほうが圧倒的にほとんどで自分が今持ちえる価値についてはあまり目を向けない、得てしてそういうものだというもの。

 自分は不満だ、不幸だ。といつも嘆き、悲観的である人とそうでない人と、どっちが不幸せなのか、本当のところは誰もわかりません。ひょっとしたら不幸だと叫んでいる人は本当に不幸のどん底にあるのかもしれないし、一方で楽天的に構えている人というのも中にはいるわけで、結果として、それが謙虚なのか神経質なだけなのか、やはりわかりません。

 ただ、これは一例ですが、もし今、そばにいて欲しい人がいる。というのはそれだけで強い勇気を与えてくれるし、幸せだと思います。いや、そばにいなくても、電話で繋がる距離にあるとか、自分にとってかけがいがない人がいる。その実感は何物に変えがたい。・・・いや、これはそれもそもそれもないのだが・・・という条件付の解になりますが・・・。

チャールズ・チャップリンの名言の一つに

「人生に必要なものは、愛と勇気と、お金が少し」という言葉があります。(これは邦訳された方が少々言い回しを変えたものだということですが・・・)

そして、この言葉を思い出すたびに胸の内に去来するのは私にとって落語「芝浜」なのです。

ここで噺の内容に詳しく触れられないのは残念なことではありますが、少しでもこちらの駄文が落語の前口上となってくれれば幸いであったりします。もちろんチケットもご興味があれば絶賛発売中であります。