もう風も吹かない ポスターに思う

                                  書いた人:スピカ
 

早いもので暦の上では、季節は立冬を迎えたようです。立春まで、もう季節は冬になるのですね。日中、日が照っていても朝晩は特に冷え込むようになりました。コートを着ていこうか、迷う今日この頃です。この季節、頓に思うのですが、出勤前に朝のTV情報番組を観ていると「今朝は今シーズン一番の寒さを記録しました!」との声を耳にするのですが、これから大寒まで、ほぼ、毎日その記録は更新されていくのでは?と素朴な疑問を感じております。

さて、当館で公演されております青年団の「もう風も吹かない」ですが、連日、多くのお客様にご来館頂いております。開場20分まではロビーで待機して頂き、整理番号でのご案内となりますので、開演まで少々館内が混雑しますが、何卒ご了承ください。

武蔵野文化事業団でもチケットの取り扱いはございまして、とりわけ、追加公演となりました16、17日(土・日)18時の回はまだお席に余裕がございますので、ぜひチケットをお求め頂ければと存じます。(チケットのご予約は→こちら

今回は本公演のポスターから受けたインスピレーションからペンを執りたいと存じます。

・・・とても印象的な場面ですよね。(ちなみに舞台上ではでてきません。)つり橋を渡る一人の女性。奥には森が広がっており、傍らにはよく見るとパスポートが乱雑に落ちております。これは一体何を意味するのか?劇を見るとあぁなるほどといった観がありますが、もう後戻りできない、つり橋というのも綱渡りのような不安定な日常を物語っているかのようです。森は未知なるもの、未開の地へ赴く象徴として描かれているようです。

ともあれ観劇する前に、個人的に想起されたのは、前述のポスターが森へと向かう様子ということもあり、場所や環境、歴史は違いニュアンスはまったく異なるものの、たまさか覚えていたアメリカ文学者のH・D・ソロー「ウォルデン森の生活」の一節でした。

「私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当は生きていなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです。」・・・ストーリーと直接、関係ないのですが、若者たちの心情、信条に通低しているかのように感じたのでした。

平田さんは『もう風も吹かない』の初演時の当日パンフレットの中で「卒業公演に相応しくない、夢も希望もない作品を書いてやる。」という言葉を残しております。(ここで卒業公演とありますのは、平田さんが教鞭を執られていたことによります。)挑戦的な言葉に映りますよね・・・。しかしこれには平田さんなりの裏返しのアイロニーがあるようで、閉塞感と孤独感に満ちて、既存の価値観が大きく揺らぐ今日であるからこそ自分の立脚点を見失うことなく、強く生きなさいというメッセージであるようです。