語るべき何かがある

                                  書いた人:スピカ


吉祥寺シアターのロビーで受付をしておりますと、時折、年齢的に若い方たちの姿を見かけることがあります。公演によっては学生料金が適用されるので、入りやすいのでしょう。

やや誇張があるかもしれませんが   たとえ席が満席、満員御礼であって、それがすべて学生で埋まる。興行的には成り立たなかったとしても、(そんな“もしも”は有り得ませんが・・・)いいのではないのかなぁと思っていたりもします。

学生さんで観にいらっしゃる方について時折考えることがあります。部活動で演劇やダンスをやっている、それに関連して舞台関連の情報に精通されている方、友人に誘われて舞台に興味をもった・・・等々いろいろ考えられますが、いずれにせよ映画の倍近い価格である決して安くはない演劇や舞台公演のチケットを、身銭を切って観に来てくれるというのは微笑ましいなぁと思うのです。

そんな風に思うのは何故なのだろうか?・・・少し考えてみたのですが、それは自分が高校生の頃に先生がふと発した一言にヒントを見つけたような気がいたします。

今の高校のカリキュラムがどうなっているのかよくわかりませんが、私が高校生のころには社会科の科目の1つに「倫理」というものがありました。先哲の教えをアウトラインだけ辿ったような内容でしたが、私はこの授業がとても好きでした。(聞いている分には楽しいというだけで、勉強は苦手でしたが・・・)どの辺りがツボを着いたのかと申しますと「ある抽象的な概念を考えたとして、それが一般化しうるものかどうか」ということ。それを言語化することに古代からこんなにも突き詰めて考えてきたことに感動を覚えたのです。

やや前置きが長くなりましたが、そんな倫理のある授業で「アイデンティティ(自己同一性)」という言葉を習ったときに、自分の興味のあることや趣味について考えてみるということを先生は伝えてくれたのです。

これがいったい何を意味するのかというと、簡単にいってしまえば、趣味や興味があることは何かと問われて何か答えられるということは“自分が興味ある物事に対して語るべき何かがある”ということを意味しております。それはアイデンティティという概念に繋がると先生は考えたのでしょう。“自分が好きなこと・興味があることを語ること”と“自分語り”、というのは通底していそうです。

だからこそ、自分のお小遣いの範囲で、舞台を観に来る学生さんの姿を拝見すると、この方たちは語るべく何かがあるのだと思えて、ああいいなぁと単純に思える瞬間があるのだと思っています。