共感が共感を生む瞬間

書いた人:スピカ


 演劇集団砂地「3crock」
の公演が近づいてまいりました。公演日によって残席は変わってくるのですが、まだまだ絶賛発売中ですので、ぜひとも興味のあるお客様はチケットをお求め頂きたくよろしくお願いします。カンゲキノススメも近々アップいたしますので、後ほどそちらもご笑覧いただければ幸いです。
 少し前になりますが、小説家の保坂和志の本で、心の琴線に触れるような一節に出会いました。それは劇作家でもあり短編小説家としても著名なチェーホフについて書かれた内容ではありましたが、先月中旬に当館で行われたティーファクトリー「荒野のリア」を観て得られた感触ととても似ていましたので(シェイクスピアについて語られた言葉ではないのですが)少し抜粋して記述いたします。

『自分がそのときに抱いている気持ちの総体が、誰かに言葉で説明されることよりも、遠い昔に生きた誰かと強く響きあっていると実感できるとしたら、その方がずっと喜びが大きいと思う。そういう想像力が、人間の有限性や孤独を救うことができるのではないだろうか。』「言葉の外へ」河出文庫(P61)

 吉祥寺シアターは昨年、たくさんのW.シェイクスピア作品をご提供させていただきましたが、もし実際にシェイクスピアがこの場にいて、観劇していたらどういう印象をもつのだろうか?なんてあり得ない“もしも?”を考えてしまうことがあります。それは脚本家や演出家が原作に想を得て演出上、別の作品のように仕立て上げる(成立させている)から余計に想像力を刺激されるかもしれません。
 原作がある場合、脚本家や演出家が翻案する。原案に脚色を加え、意図を持って作り変える過程とはどのようなものなのだろうか、意図することはなんだろうかなどと考えることが稀にあります。
 もちろんそれは皆様からいただいた観劇後のアンケートからも感じることがあります。思わず「正鵠(せいこく)を射る」ようなはっとさせられる回答に出会うこともあります。おそらく、これらは時代性を超えて、映像作品や過去の演劇、その他想起されるイメージ・・・皆に共有できるような連絡通路があって、どこかで通じあっているような、そんな不思議な感覚を呼び起こす瞬間があるからでしょう。
 演劇集団砂地「3crock」も、江戸時代後期に河竹黙阿弥によって書かれた「三人吉三廓初買」を原作としております。皆様が翻案・脚色された演劇からどのような感触を得るのか、そしてそれが原作とどのような関連性があるのか、公演が待ち遠しいですが、ぜひとも多くのお客様に観て頂いて、そして原作に思いを馳せた後に残るものは何か、皆様と共感することができたら嬉しいものです。