近松門左衛門作品から続く悪の諸相

書いた人:スピカ
 

 劇団青☆組「星の結び目」が楽日を迎えました。ご来館いただきましたお客様、ありがとうございます。
 私も、昨日お休みを頂き拝見いたしましたが、切なくもほんのり温もりのある物語が紡がれておりました。ちょうど、冒頭出てくる昔なじみのドロップが、飴玉をころりと転がして昔日(せきじつ)の思い出を振り返る、そんな舞台に見えました。
 始まる前にパンフレットにありました作・演出を手掛けた吉田小夏さんの“ごあいさつ”を読んでいたのですが、観覧後、あぁまさに「いま」というこのときも未来から見れば実際は瞬間の連続で出来ていて、だからこそ人は過去を慈しみ、自分の生きた系譜を辿るものなのかと、そして悠久のときの流れと星の瞬きを思いました。

 さて、今月6日発売となりましたアマヤドリ公演「非常の階段」は劇団の年間テーマ「悪と自由」シリーズ3部作の第二弾公演となります。「悪と自由」とても難しいテーマに聴こえますが、ふと学生の頃に授業で取り扱われた近松門左衛門の「女殺油地獄」を観て、提出したレポートがまだ心に残っています。
 放蕩息子で店の金を使い込んだ与平衛が店の身代が傾いていると知って、今度こそは改心しようと馴染みのお吉さんを当てに金を無心するが、そんな話は信用できないとあっさり断られる。逆上した与平衛は勢い余って切りかかって殺害に及ぶ。
・・・かいつまんで話すとそういうお話です。心中物で鳴らした作者ですが、本作は人間に潜む悪とは何か、人間とはどういうものか?そんな心の闇に潜むものへと焦点が移りますが、当時はあまり受け入れられませんでした。しかしその系譜となるものは脈々と受け継がれているように思います。先日、当館でも舞台を近未来にリメイクして公演のありました河竹黙阿弥の「三人吉三廓初買」(幕末から明治の黎明期)、落語であれば三遊亭圓朝の「牡丹灯篭」などにも「悪」は描かれています。
・・・実は江戸時代の頃から「人の心はどうやったらわかるのか?」という哲学的なテーマに正面きって向かい合っていたように思うのです。
 ここで重要なのは各作とも起きてしまった事件そのものではなくて、善悪で二分化できるのか、我々にとって「信義」とか「信頼」ていったいなんなのだろう・・・言葉だけが空々しく響くだけで、実際は曖昧模糊としたもの。分かったと思えた瞬間に手の中をすり抜けてしまうものではないのか、世界はもっと多層的である。善とか悪とか考えた時点で、自分と他人の考えていることが一緒だなんて過度の一般化に過ぎないのではないのか。世界はもっと不確かで、そういう存在であるからこそ、懸命に生きることでしか存在証明を得ることが出来ないのではないのかと・・・そんなことをレポートにした記憶があります。答えはないのですけれどね・・・。

 もちろんアマヤドリの公演がどのようになるのかはまだ、新作公演で見ていない以上なんとも申し上げられません。いま語ったことが無駄骨になるかもしれませんが・・・さておき今から楽しみな舞台です。アマヤドリ「非常の階段」チケットの予約は→こちら