速度感覚と時間

書いた人:スピカ

 

アマヤドリの「非常の階段」が発売となり、ふと昨年吉祥寺シアターで行われた「太陽とサヨナラ」のことを思い出しておりました。

前知識としてもっていたのは当館の職員が記しましたカンゲキのススメ劇団HPのみでありましたが、感じるところが多々ありました。特にワークインプログレスで広田さんが質疑応答の際に本公演を書き上げた創作動機について語っていらしたことは、そのまま「途方もない時間と、遠すぎる距離」と台詞に反映されており、何度も頭の中で反芻してみました。

カンゲキのススメにある言葉を抜粋いたしますと作・演出をされた広田淳一さんはこれまでの自分の人生を振り返って見た時、この先も続いていくだろう自身の“人生の長さ”について考えたそうです。その出来事から、それよりもずっと永い時間と距離を歩んできた“太陽”というものについての話を描いてみたいと思ったのが創作のスタート地点だったそうです。

これを聞いて何故か思い出したのは“近代”というもののあり方とそれに付随してイギリスの近代の象徴である蒸気機関を描いたW.ターナーの「雨・蒸気・スピード・グレートウエスタン鉄道」という1枚の絵画でした。

そのこころはと申しますと、近代以前には「時間」という概念は一般には浸透しておりませんでした。つまり時計をもって人が何か行動をするという習慣はなかったのですね。(概念自体は人間が作り出したものですが・・・)

太陽が東から昇り、西に沈んでゆくのは季節によって時間が異なりますが、人間は明るくなったら活動し、暗くなったら灯りもないわけで、その時点で生産活動をやめるというのが一般的なスタンスでした。それが近代となりガス灯が発明され、また蒸気機関が発明される。今でこそ、列車のスピードは当たり前のようにそのまま受け入れてしまうのが我々の日常でありますが、当時、人々はどのようにこの先駆的な発明を受け入れ、速度というものを捉えたのかというのは想像に難くありません。時速何kmなんて表現をして時間×速さ=距離などという公式は小学校で習う項目の1つに数えられますが、疾走間を時間で表すという試みは相当に画期的な物事であったに違いありません。西洋史における近代とはつまりそういうことでした。ターナーという画家はそうした庶民が図り得ない速度間を絵画に落とし込むという実験を大気や風、雨粒の様子、光、それらがうねる様子から速度間を表したのです。

ふと、私の中で劇団のHPの載っている文言が浮びます。

「リズムとスピード・熱量と脱力を駆使して、「現代日本を生きる観客の最上の娯楽」であることを第一義として活動を行う。」(アマヤドリHPより)

これは単なる“偶然”なのかわかりませんが、この速度感と時間についての概念がずっと頭の中に残ったままです。

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