文学者たちの繋がり

書いた人:スピカ

 

宮沢賢治というと皆さんはどんな作品を思い出すでしょうか?おそらくは童話でしょうか。「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」etc。小学校の課題図書や教科者などでも採用されているものも少なからずありますので、一度はお手に取られた方も多いかと存じます。ほんのり懐かしく、時には不気味だったり、物語全体になんともいえぬ、ぬくもりを感じたり・・・色あせぬことのない不朽の名作だと思います。しかし、生前あまり知られることのなかった宮沢賢治という存在の普及に努めた人物が誰であるかはあまり知られていないので、今回はそんなことをテーマにブログを綴ってゆきたいと思います。

 吉祥寺シアターでは先月19日に発売となりました小池博史ブリッジプロジェクト『風の又三郎-Odyssey of Wind- 』で宮沢賢治の童話「風の又三郎」をモチーフとした舞台が行われることが決定しましたが、青年団の「暗愚小傳」(あんぐしょうでん)の脚本を読んでいたところ、思わぬ感じで宮沢賢治が舞台に登場することもありまして高村光太郎と宮沢賢治が実は面識があったのだということに今更ながら気づかされたのでした。史実としては、高村光太郎は第二次大戦中、戦火を逃れる為に生前親交のあった宮沢賢治の知遇を頼りに岩手に疎開していますし、これは単に互いに顔見知りであったということ以上のものを感じてしまいます。

さて、前回のブログでは千恵子抄を編纂し、解説文を寄せたのが草野心平であることを書きました。では、夭折の詩人であり、作家である宮沢賢治の存在を世に知らしめたのは?
他でもない草野心平の尽力があったからです。

高村光太郎が若き日の草野心平にとって物心ともに良き庇護者であり、また公私共に親交があったことは、知恵子抄にある解説のくだりを読んでもわかるのですが、このように意外な文学者たちの接点を知ることで、互いの関係性がわかり、点であったものが線上に繋がるのを感じました。
電話もまだ一般的には普及していなかった時代を想像すると、当時彼らは相手からの手紙や通知をどれほど心待ちにしていたのだろうか、またはどのような書面でのやりとりをしていたのだろうか、互いをどのように尊重し、意思や志を思いあっていたのか・・・想像すると興味深いですよね。

 青年団「暗愚小傳」のチケットは→こちら
小池博史ブリッジプロジェクト『風の又三郎-Odyssey of Wind- 』のチケットは→こちら