明日はユラ・マルグリスが登場

投稿者:ヤマネ


昨日無事にユラ・マルグリスとアリッサ・マルグリスの兄妹二人は来日した。実は直前にオモチロイちょっとしたドタバタがあったがそれはまたの機会にでも。


妹でヴァイオリニストのアリッサは昨年、吉祥寺シアターでのダンス公演で演奏したのをお聴きになった方もおられるだろう。ハッピーな音楽を奏でる。兄のユラ・マルグリスはアルゲリッチなどと度々共演しており、「凄い」と言われながらも、なかなか日本では聴く機会のない名ピアニストだ。


ただいま二人は、武蔵野市民文化会館の一室でリハーサルをしている。この二人、近くに住んでいないどころか、めちゃくちゃ離れたところ、あさっての方角に住んでいる。兄はアメリカ、妹はドイツ(とベルギー)である。


とはいえ、音楽家は忙しく飛び回る。ユラ・マルグリスは今、5週間の演奏旅行まっただ中で、日本の後は韓国とかハンガリーとかその辺りに行くようだ。成田空港で会ったときにちょっと驚いたが、強烈に重い荷物を2個抱えており、さらにむちゃくちゃ重いバックパックも背負っていた。(たいていのピアニストは、荷物が非常に少ない。)


本人も自覚しており、「まるで女性のようにたくさんの荷物を持っているんだよ、ハハ」と笑う。だが、自分はどこに何を入れたかきっちりと正確に覚えている、とも言う。「あれを出せと言われればすぐ出るよ。」これはロシアで生まれたが、幼少の頃より長くドイツで育ったからかもしれないな、うむ、実によろしい、と首肯する私。


そしてアメリカに住むようになってからも既に20年と、長い。ロシア語、ドイツ語、英語はほぼネイティヴ・レベルだと言うから、では妹とはどの言語で話すか?と問うてみた所の回答が興味深かった。

「何語でもいいのだ」と言う。会話の内容によって換えるのだと。「まあ通常の会話はロシア語かもしれない。でも込み入った話はドイツ語でするし、軽い話題なら英語かな。」


二人の会話を聞いていると、実際にコロコロと言語が変わる。つい日本人同士英語で話すと背中がこそばくなり赤面して小声になってしまう私なんぞとは大違いだ。・・・え、一緒にするな?やっぱり・・・・(タメ息)。


日本で聴く機会のなかなかない名ピアニスト、ユラ・マルグリス、明日の武蔵野公演は完売しているが、14日(木)の群馬県高崎公演、15日(金)の名古屋公演はまだチケットがあるそうなので、都合の付く方、ぜひ足を運んでみて下さい。おもろいおっちゃんでっせ。


3.14(木)19:00 高崎シティギャラリー・コアホール  問合せ:027-328-5050
3.15(金)18:45 名古屋 宗次ホール  問合せ:052-265-1718
 
 

初めてのチケット電話。

投稿者:ひよこちゃん

本日はチケット発売日でした。
3/11公演のマルグリス兄弟が本日来日するということもあって、11時過ぎにはチケット電話の担当を他のスタッフに引き継いで成田空港に向かったのですが、その時点で「アンサンブル・ウィーン」が完売、「スメタナ・ピアノ三重奏団」も完売間近という状況で、「あらあら早いなあ」と思っていたら、先ほど戻ってきたところ「スメタナ・ピアノ三重奏団」は早々に完売していて、「ルノー・カプソン」も残券僅少(お求めの方は今すぐご予約を!)で、ありがたいやら驚くやらまあなんとやらといった感じでございます。本日も沢山のご予約ありがとうございます。


2年前の4月よりこちらの武蔵野市民文化会館で働き始めたのですが、働き始めたその日にはチケット予約システムの使い方を教えられ、「じゃ、明日発売日でいっぱい電話かかってくるから頑張ってね」と、早速放置?されたのを思い出しました。(でも何事もなく乗り切れました。)
チケット予約システムは1年半くらい前に新しいものに代わったのですが、以前のやつはかなり旧式のもので、初めて知ったパソコン用語が「Windows95」という世代の私には、全く未知なるものでした。インターネット予約もまだ始まってなかったですし、もはや隔世の感があります・・・。


初めての予約電話の時に売り出した公演は、そのときのInformation冊子を引っ張り出して確認すると、


・樫本大進 with ベルリン・バロック・ゾリステン
・トーマス・オリーマンス バリトン・リサイタル
・ユリウス・キム ピアノ・リサイタル
・ストーム・ウェザー・シャンティ・クワイァ
・第107回武蔵野寄席


の5本でした。


樫本大進さんが出演する公演が大ホール公演だったこともあって、電話が途絶えることなく午後まで鳴り続け、早速お仕事の洗礼を浴びたような気がしたのを覚えております。クラシック音楽の興行が好評だとは面接の時に伺っていたのですが、正直言ってまさかこれほどだとは思いませんでした。(というか、チケットの予約電話を受けるなんてことすら、働く前は想像してなかったのですが・・・。)


この数日とみに暖かくなり、周りは皆さま花粉症に悩み、すっかり春到来ですね。
来月4月にはまた市民文化会館にも(そして他のホールにも)新しいスタッフが配属される(と思う)のですが、その方達もチケット発売日にはちょっと面喰らうのでしょうか。来月の最初の発売日は4/6の予定なので、ちょっと時間もあるし皆さますっかり慣れているのでしょうか。私はあまり人に教えるのが苦手だ(し、新しい方が年上の可能性も十分ある)から絶賛ノータッチなので、あ・と・お氏筆頭に皆さまが教育なさるのを、横からニヤニヤと眺めていようと思います。
 
 

武蔵野シティバレエ 出演者オーディションのお知らせ!

 

投稿者:I.D

毎年一回、11月に公演を行っている「武蔵野シティバレエ」は現在、次回公演『ロミオとジュリエット』(全幕)の出演者を募集しています。

 

今年の振付は佐藤宏さん。佐藤さんは1987年の第1回定期公演『眠れる森の美女』(全幕)の時から、実行委員として参加しており、27年にもわたって武蔵野シティバレエを支え続けています。

 

武蔵野シティバレエでの振付デビューは1988年に行われた豊科町公演の『コンチェルト』。これはフランツ・クロンマーの「2つのクラリネットのための協奏曲 変ホ長調 Op. 35」にオリジナルの振付をしたもののようです。当時のパンフレットには「白と黒、光と影をテーマに各楽章ごとに分解し三つのパートで構成された作品。2人のエトワール、4人のソリスト、8人のコールドバレエが、各々白と黒に分かれて踊ります。曲は本来の演奏と異なり、第三楽章から順に第一楽章へと逆に演奏されていきます。」とあります。この解説を見ただけで佐藤さんが、当時から(現在も持っている)佐藤さん独自の世界を確立していたように思えます。

 

その後の佐藤さんの武蔵野シティバレエでの振付作品は次の通りです。

佐藤さんがいかに精力的に振付をしてきたか良くわかります。

1991年、『真夏の夜の夢』(メンデルスゾーン)

1992年、『DUETTO』(グリーグの「ホルベアの時代から」を使用した作品)

1993年、『モルダウ』(スメタナ)

1995年、『コンビネーション』(ラフマニノフの「3つのロシアの歌」を使用)と、『ホワイトゾーン・アウト』(ヴィヴァルディの「四季」を使用)

1997年、『FISIONS FIRST STEP』(シューベルトの「アヴェマリア」とクロノス・クァルテットの「Pieces of Africa」を使用)

2001年、『Heavenly Body』(オッフェンバックの「パリの喜び」を使用)

2003年、『Les Fees de lair』(「レ・シルフィード」を独自の視点で捉えた作品)

2008年、『レ・スリ Les Souris』(「くるみ割り人形」をねずみの側から捉えた作品)

2011年、『ユーピテル Jupiter』(モーツァルトの「交響曲第41番」を使用)

 

今回の『ロミオとジュリエット』は佐藤さんにとって武蔵野シティバレエでは初めての全幕作品となります。振付的にも物語的にも、既成の『ロミオとジュリエット』にとらわれることなく、自由な発想で創り上げていくとの意気込みも届いています。

 

また、佐藤さんは“LA DANSE CONTRASTEE”というダンス・カンパニーも主宰しており、こちらでも次々と作品を発表しています。HPには佐藤さんのプロフィールと、LA DANSE CONTRASTEEの動画もあります。

 

このような佐藤宏さんを中心に創り上げていく「第28回 武蔵野シティバレエ 定期公演」。ひとりでも多くの方がオーディションに参加してくれたら嬉しく思います。

 

オーディションの詳細はこちらをご覧ください。

http://www.musashino-culture.or.jp/ticket/archives/28.html

これまでの武蔵野シティバレエの全チラシを掲載したブログはこちら

http://www.musashino-culture.or.jp/weblog/2012/11/27-1.html

 

 

新聞で。

投稿者:あ・と・お
 
今日は、チケット発売日でした。たくさんのご予約のお電話/インターネットでのお申し込み、ありがとうございました。
 
最近(ちょっと前になりますが)、新聞のおくやみ欄に武蔵野のステージに上がった方々の名前を見つけました。
 
ひとり目は、フランスの名オルガニストのマリー=クレール・アラン。パイプオルガンというと、まずこの人の名前を頭に思い浮かべる方も多いのではないかと思います。バッハのオルガン作品の全曲録音を3度も残した超人です。フランス古典から現代までとレパートリーは幅広く、兄ジャン・アランの作品もよく取り上げていました。ジャン・アランの全作品録音も2度おこなったのではないかと思います。その他にも録音は膨大な数にのぼると思います。日本にも何度も来日していますが、武蔵野には2004年のオルガンコンクールの際に審査委員として招聘しました。その時、すでにかなりのご高齢でしたが、凛とされていてオーラが出ていましたね。リサイタルはおこないませんでしたが、兄ジャン・アランのオルガン作品についてのマスタークラスを開催いたしました。オルガン界からまたひとり巨匠がこの世を去り、残念です。
 
もうひとり、バッハ研究で世界的に知られている小林義武氏の訃報記事もありました。武蔵野では2007年にオルガニストのジャン=クロード・ツェンダーを招聘した際におこなったマスタークラスで通訳をお願いしました。おふたりは旧知の仲で、ツェンダー氏の希望で小林氏に依頼しました。長年、ドイツ・ゲッティンゲンにあったバッハ研究所で研究員を務められ、バッハが楽譜を書いた紙の透かし模様や、音符の筆跡などから、作品の成立年代や成立過程を研究されていたことで知られています。地道な研究ですよね。著書の中で、世界中に散らばっているバッハの自筆譜のほとんどすべてを実際に手に取って研究されたとおっしゃっています。日本人の研究者がバッハ研究の最前線で活躍されていたというのも大変誇らしいですね。
 
と、書いてみたものの、おふたりの大きな足跡の全容を私めごときがまとめるのは難しいです…。ここに、wikiで引用するのは気が引けますが…。機会があれば、ぜひ、実際にCDを聴いたり、著書を読んでみたりしていただけるといいかなと思います。
 
マリー=クレール・アラン
 
小林義武
 

深く考えること―知性と共に生きる

投稿者:Director's choice


「あなたの好きな字を一字、漢字で書いて下さい」


そんな質問をされたことはありますか?
ある教室で子どもたちは、それぞれに「秘」とか「家」とか色々な字を書いていました。
僕ならどんな字を書くのかなぁ・・・と考えると、「深」という字になりそうです。


最近はインターネット社会になり、ものを深く知らなくてもすぐにテクニックが手に入ります。でもすぐにできてしまうので、そこから先には行かないし、行くことを求めませんね。
古楽的アプローチとか、色々わかった気もしますが、それが本当に心から出るものか・・・。
深く考え、叡智を求めるタイプの僕はすっかり少数派になっています。いや、学生の時でも(30年前!)すでにそうだった気がします・・・。


ギル・シャハムが演奏している間、彼が年を追うごとに心技体ともに素晴らしい人へと成長していることを思い、「ああ、なんて深い音楽・・・」とポロポロと涙を流してこんな事を考えていました。


僕は公務員ですから、誰でもできることをマニュアル通りやって、次の人に引き継ぐべきなんでしょう。ところが、あまりにものを深く考えてしまい、人とどんどん違ってきて、ここの事業も他の会館とは違うものになってしまいました。


さて、来月ミハル・カニュカというチェリストの無伴奏リサイタルをやります。バッハ、コダーイ、ブリテンをやりたい・・・という人が圧倒的な中、モザイク模様のように色々な作品を組み合わせた、いくつもの"種"があるようなプログラムを出してきました。既成概念にとらわれない生き方、そして音楽、それが毎日の流れ行く人生の中で静かに行われるカニュカの世界。1000円なのでよかったら聴いて下さい。


知の料理と言えば、西麻布のレフェルヴェソンスですね。
慶應の経済出身のシェフで、知の冒険を感じる方と、優しい完成された皿に満足される方に分かれるかも知れません。僕は好きですよ、カンテサンスほどの冒険ではありませんが、知性の在り方がカンテサンスのシェフとは違っているだけで、感じるものは大きいです。少し高いですが、それだけの価値はあります。そう、ギル・シャハムのように。

 

褒めてもちあげ、もっと褒め

投稿者:ヤマネ


前々回「次回に続く」と書いた話と、まあ少しつながりはあるかも知れませんが、今回もまた、直接的に続きの文章ではありません、すいません。


職業柄もあってそれなりに多数の音楽家の演奏を耳にしています。そうすると、だんだんと新鮮味を忘れ、すり切れ、「感動」という言葉が置き去りになりがちです。これは良くないことだなと自覚をしているのですが、そうは言っても、無感動になったり、シニカルになったりと、ネガティブな感想を持つ事があります。


そんなときはヨーロッパでの体験を思い起こします。どんな体験かと言うと、「褒める」体験なのです。彼らは褒めるのです。左様、演奏を聴いたらそれこそ文字通り、まず褒めるのです。というか褒めまくります。(もちろん全ての人がそうだという訳ではありませんが。)


そこまで凄い演奏ではないな、むしろイマイチかも?とうっかり不肖私が僭越ながら思ってしまうような演奏でも、褒めまくります。神様のような大ピアニスト(それこそ皆さんが絶対ご存じの天才)が、他人の演奏を褒めまくっているのを目の当たりにして、最初は驚きましたし、もっと率直に言うとショックでした。「え?そうなの?何でやねん?」と若く生意気な私は、言葉を失ってしまったわけです。


脱線しますが、その方に「ねえねえ私の今の演奏どう思う?ていうかあのピアノ、響きがないと思わない?不満やわー。」(←英会話)といきなり前置きなしに普通にフランクに語りかけられ、動転して舌がもつれ何も言えなかったという極めて恥ずかしい経験もあります。(遠い目・・・・)


欧米の教育は、まずよかった所を褒めて、それから問題点を喚起する、というやり方が基本だとはよく言うことですが、私もやがて、ただ彼らがべた褒めしているだけではなく、どこそこが素晴らしいとか、そういう風に褒めている事が判るようになって行きました。つまり加点方式なのですね。これは実に前向きだ。建設的だ。いいなあー。


と言うわけで私が今、最も生で聴きたいピアニストは、グリゴリー・ソコロフです。

  
 

ライヴ受難の時代?

投稿者:ひよこちゃん


1ヶ月ほど前に我が家のパソコンが壊れまして、しばらくパソコンなしの生活を送っていたのですが、いよいよ不便だなという気分になりまして、最近家電屋さんに行ってあれこれと下調べを行っております。そこで驚いたのは、最近のパソコンは結構当たり前のようにブルーレイ・ディスクに対応しているのですね。


私自身はブルーレイなんて高価なものにはさっぱり縁がなく、正直言ってDVDとの違いがどんなもんなのかはよくわかっていないのですが、ブルーレイ体験者の皆さまは口を揃えて「DVDより断然キレイ」とおっしゃいます。アナログ放送と地デジのようなものでしょうか?(これに関しても正直どのくらい違うのかわからないのですが...。)
ブルーレイって私の中では、DVDの買い替えを促すほどの性能ではなく中途半端、というイメージだったのですが、どうやらそこそこ一般的になってきているようです。どんなものを観るのですか?と訊ねて、もっとも「へぇ」と思ったのは、ライヴ映像、という回答でした。


その方が言っている"ライヴ"というのはクラシックではなく、ポップス系やロック系みたいですが、DVDとは画質が全然違い、その分興奮?もDVDで見るのとは段違いのようです。(なんでも自分の行ったコンサートの映像を観ることもあるとか!)
私もライヴ映像は確かに見ますが、Youtubeでコソコソ見る(というか、音だけ聴くことがほとんど)程度なので、たぶんその方の感動がいまいちピンときていないと思います。しかし、それだけ画質が向上していて、ライヴ会場の興奮まで味わえるとなると、いよいよライヴに行く意味というのが問われてきます。
私たちは何故、時間や場所の面で制約を受けるコンサート会場に足を運ぶのでしょうか?


私は、その理由は「空気」にあるのではないかと思います。


例えば、私どもが主に開催しているクラシック音楽の場合は、会場までいらっしゃる方とは、基本的には演奏家の"音"を、生音を聴きにいらしている場合が圧倒的だと思います。(まあ、たまには演奏家の容姿がタイプだからとか、そういうのもあると思いますが。)
音というのは空気の振動によって伝わってくるもので、ピアノや弦楽器は弦の振動が空気中を伝わり音として耳に届き、管楽器は口から吐き出される演奏者の息が生み出す震えがやはり音となって私たちの耳に届きます。この「演奏者と楽器が生み出す空気の震え」そのものを感じられるのは、コンサート会場だけです。CDやDVD、もちろんブルーレイから出てくる音ももちろん同じメカニズムで音として耳に届くのですが、そこには演奏者はいませんし、その音の根源となる「演奏者と楽器が生み出す空気の震え」そのものはそこにはありません。結局のところ、それはデータ化されディスクの中に閉じ込められた、音の記録に過ぎません。


このことは、クラシック音楽に限らず、ポップスやロックのコンサートでも同じ事が言えると思いますし、演劇や落語なんかも同じではなかろうかと思います。
演奏者、俳優、噺家、彼らの発する空気・声・熱量、そういったものはデータ化され、ディスクの中に入れられると、ほとんど全てが消えてしまうものです。劇場でとても感動したお芝居をDVDで見て、とてもがっかりした経験があります。劇場で感じた張り詰めたような緊張感、舞台から伝わってきた感情の昂ぶりみたいなものが、DVDでは綺麗に濾過されていました。


だから、みなさん、どんなに高画質になってもブルーレイじゃ伝わらないものが沢山あるんデスよー!!!


と声を大にして言いたいところですが、必ずしもそうも言えないのが難しいところ。
面白いものは映像で見ても面白いものが多いですし(まあ、それでも生で見るよりも何割か感動がさっ引かれているとは思いますが)、それに映画や写真のような複製を前提としたメディアは、その空気感をできるだけ掬い取っています。


先日、今年のアカデミー賞が発表され、『レ・ミゼラブル』に出演していたアン・ハサウェイさんが最優秀助演女優賞を受賞していました。ほとんどの作品を観ていない中、たまたま『レ・ミゼラブル』は観たのですが、物語のラストの方でアン・ハサウェイ演ずるファンテーヌが結構久々に再登場するのですが、ここのアン・ハサウェイはまさにジャンヌ・ダルクのようでした。「ジャンヌ・ダルクを演じているよう」ではなく、まさに「ジャンヌ・ダルクそのもの」といったような雰囲気を漂わせており、アカデミー賞最有力候補の下馬評も頷ける素晴らしい存在感をスクリーンの向こう側から感じさせてくれました。


再生機器が進化を続けるなか、ライヴと複製のせめぎ合いはまだまだ続いていくでしょう。終わりを迎えたときにどちらが勝者のフラッグを持っているか、それは今のところ誰にもわかりません。

  

コンサート会場のCD販売には思わぬ楽しみが

投稿者:I.D

武蔵野の公演に来てくださっている方はご存じかと思いますが、会場ではよくCD販売があります。ジャズや民族音楽の場合はアーティストを招聘している会社が直接売ることが多いのですが、クラシックの場合は往々にしてCD屋さんが販売しています。

 

マイナーなアーティストの場合、販売するだけの枚数をそろえるのが大変な場合もあるようです。また、アーティストが自分で鞄いっぱいにレアなCDを詰め込んで持ってきて、それを販売代行することもあります(スーツケースではなく普通の柔らかい鞄なので大量のCDケースにヒビが入っていたりする場合があるんですよね…)。最近はamazonなどが台頭しているとはいえ、なかなか手に入りづらいCDを買うことが、コンサートの楽しみの一つになっている方もいるのではないでしょうか。

 

昨日の「ハーゲン弦楽四重奏団」の公演でもCD販売がありました。その中に最新録音「ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第3番/第5番/第16番」(Myriosレーベル)があったのですが、これ「世界のどこよりも早く販売!」だったのです!

ヨーロッパ、日本での一般発売は3月下旬のようですが、それに先駆けての日本公演での販売、武蔵野公演はツアー最初の公演。なんと当日成田着だったそうで、レコード会社の人が直接取りにいき、成田からの道が混んでなければ間に合う!というギリギリさ。なんとか無事到着し、皆様に世界で最初の購入者になっていただくことが出来ました。CD屋さんも、ン十年やっていて世界最初の販売は初めてだったそうです。やはり売れ行きはよかったようで、サイン会にもたくさんの方が並んでいました。

 

iPhoneなどを早く買うために行列するニュースなどを見ても「よくわからないなぁ」と思ってしまっていた私ですが、やはり「世界最初!」ってワクワクしますね。よくよく思い出すと私も中学生の時、「ドラクエ4」を買うため朝4時から並んだことありました。あん時は興奮しましたねー。…脱線しました。皆様もコンサートにいらしたらCD販売を覗いてみてはいかがでしょうか。思わぬ楽しみがあるかもしれません。

 

 

こんなものに、あんなものに...

投稿者:あ・と・お
 
来日した音楽家と話していると、普段、我々には当たり前すぎて気にもしていないことに興味を示す場面によく出くわします。今日はそんな話をひとつ…。
 
まず、特にこれからの時期の街行く白マスク姿の人々。これは、私の経験では、ほぼ100%聞かれます。「どうして、みんなマスクをしているんだ」「そんなに東京の空気は悪いのか?」…などなど。彼ら/彼女らには、最初、異様な光景に映るようです。「いやいや、杉の花粉症の人が多いんだよ」とか「風邪を引いた時も、普通によく使うんだよ」と答えると、ふ~ん、ひとまず納得。風邪を引いた時というのは、ウィルスの侵入や喉の乾燥を防ぎ、他の人に風邪をうつさないためだ、と答えると「そうか、他人のことを考えているのか。日本人は何て素晴らしいんだ!」となります。そういえば、外国人は結構派手にくしゃみしますね。
 
あとは、外国人から見ると日本人の服装は、サラリーマンのスーツでも、カジュアルなものでも、色が地味に感じるようです。電車に乗っているときなどに、確かに言われてみると、黒とか紺とか、女性ならベージュとかが多いですかね。そうそう、インマゼールが来日した時は、赤いコートを着ていました。結局、みんなが総じて同じような格好をしているのは不思議なんでしょうね。裏を返せば、きっと、それだけ個性を大切にしているってことなんじゃないでしょうかね。
 
電車と言えば、電車を待っている人がキチンと整列しているのはすごく感心されます。そして、電車の中では、大声で話している人がいなくて(たまにはいますが…)、静かなことも。でも、そんなお行儀のいい日本人が電車から降りる時だけは、血相を変えて無言で押し合いへし合いして出ていく光景にはギャップを感じて唖然とするようです。駅ごと/ホームごとに違う発車ベル(いま時は“発車メロディ”っていうんでしょう)は、さすが音楽家だからか、面白がって口ずさんだりする人もいます。
 
さて、先日、イタリアから来た演奏家と武蔵野市民文化会館の横を歩いていると、こんなものに反応しました。
 
 
この木ではありません。木を支えている“添え木”の部分です。う~ん、確かに外国にはなさそう…。
 
 

キリル・ゲルシュタイン ―― 心も音楽も素晴らしい人

投稿者:Director’s Choice

ひよこちゃんのブログを見て、そうかー、教養のためにヤマネくんは美術館に行くのか…と。人はみんな違うなぁと思いました。

 

僕は油絵を描いていて、父も油絵の人で(もちろん2人とも素人です)、絵は小さい頃から大切な友人でした。現代美術は大好き!です。絵の前に何時間も座っていろいろなことを若い頃は考えました。鴨居玲とか何時間でも観ていられますもの。じゃ、なんで君は美術館に行くの?と言われると、「考えるため」「何かヒントをもらうため」などなど…。

 

ちなみに私はあまり品格にこだわらない、直球型の人でありまして…、ですから東京より安い!とか書いてしまいます。芸術は僕にとって特別なものではなく、いつもそこにあるものなので、“品”というものとは違う見方をしていると思います。

 

さてさて、では本題に。来月キリル・ゲルシュタインというピアニストのリサイタルのチケットを売り出します。ルビンシュタイン国際コンクール優勝後、ラトヴィア交響楽団のソリストに招いて以来です。リハーサルでサー・チェンも同じチャイコのピアノ協奏曲のリハに来ていて、オケの人はみんなサー・チェンがいいと言っていると、マネージャーさんが宣っておりました。

 

確かにサー・チェンは素敵なピアニストかもしれませんが、ゲルシュタイン君は高校生のダルビッシュみたいな剛速球王への道が見えているような、輝く才能に溢れていました。そのうえ人間もとてもとても素晴らしい人でした。僕は今に見ていろ!絶対に今は無名のゲルシュタインが世界のピアニストになるんだ…と思っていました。

 

彼はシカゴ、クリーヴランド、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンのアメリカの5大オケはもちろん、シュターツカペレ・ドレスデンなど超一流オケと協演するピアニストに成長しました。日本ではまだ知らない人も多いと思うのですが、皆様にぜひとも聴いていただきたい人なんです。いいですよ!

 

500円ランチでつまらない思いをされている方、新橋の洋食すいす(→食べログで見る)のポークカレー580円、美味であります。(久しぶりに納得の500円ランチでした。)