がんばれ日本製!

投稿者:あ・と・お

 
暖かくなったかと思うと寒くなったり、また先日の砂嵐にも参りましたが(コンタクト辛かった)、でも、だんだん春らしくなってきていますね。
 
さて、今週はパイプオルガンのリサイタルが2つ続きます。ひとつは、フランス・リヨンから招聘したリズベス・シュランベルジュさん(12日に終了)。もうひとつは、スイスを拠点に長年ヨーロッパなどで活躍中の日本人オルガニストの小糸恵さんです。
 
シュランベルジュさん(実際には“リズベット・シュルンベルジェ”という発音のほうが近かった)は、初来日で、空いている時間には浅草や明治神宮に行かれて日本滞在を楽しまれていた様子でした。それと、銀座も。でも、優雅に“銀ぶら”という訳ではなく、そこでしか手に入らないあるものを買いに行かれました。さて、なんでしょう…?
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答えは、靴です。シュランベルジュさんが今、オルガン用に使っている靴は、銀座ヨシノヤ製だったのですが、古くなってきたので、新しいものを買い求めに行かれたのでした。銀座四丁目店とオンラインショップのみで扱っているようです。
 
 
 
ヨシノヤはこんな靴も作っていたのですね。当日アシスタントをしていただいた方によると、日本人オルガニストでも、以前はアメリカ製のものを使っている人が多かったようですが、最近、仕様が変わったそうで、このヨシノヤ製が出てからは、こちらを使っている人が増えているそうです。特に、日本人の足型には日本製のほうがいいのかもしれませんね。
 
普通の靴ではダメだそうで、オルガニストの皆さんは楽譜とオルガン専用の靴を抱えてやって来られます。大概、“使い込まれた”感が出ています。やはり、足によく馴染んだものを大事に長く使われているのだと思います。スポーツ選手のシューズのようなものではないでしょうか。シュランベルジュは、古くなったものが修理できないか聞いてみたところ、残念ながら、修理できるレベルを超えていたそうです。見てみると確かに相当使い込まれていました。
 

2年前のバッハとラフマニノフ

投稿者:I.D

本日はリズベス・シュランベルジュのオルガン・リサイタルが開催されます。前半はバッハ、後半はメシアンの「主の降誕」です。シュランベルジュさんの希望でプログラムには、バッハのコラールと「主の降誕」の元となった聖書の言葉も掲載しました。

 

ちょうど2年前の3月12日、武蔵野市民文化会館小ホールでは「マルティン・シュメーディング オルガン・リサイタル」が開催されました。この公演で、シュメーディングさんは、プログラムに入っていないバッハの“われら悩みの極みにありて BWV641”を日本のために演奏してくれました。このコラールの元となった詩は次のようなものです。

 

「われら悩みの極みにありて

出ずるに道なく、入るに道なく、

助けも来らず、途方に暮るるとき

われらを支うる慰めはこれのみ。

すなわちわれら相ともに心を合わせて、

おお真実なる御神よ、汝に訴えまつり、

この悩みと苦しみより救いたまえと

切に祈ることなり。」

(杉山好氏訳)

 

また、同じ年の3月18日に行った「グラーフ・モウリャ ヴァイオリン・リサイタル」でもモウリャさんとピアニストのナタリア・ゴウスさんも、ラフマニノフの“ヴォカリーズ”を日本のために演奏してくれました。

 

その時私は大きな、なにかを超えるような“力”を感じました。彼らがしてくれたことを記憶にとどめておきたく思い、ここに記させていただきました。

 

追記:さらにグラーフ・モウリャさんとナタリア・ゴウスさんは、それぞれ出演料の半分を義援金として寄付してくれました。

 

 

チケットがとりにくい・・・

投稿者:Director's Choice


今、お客様がチケットを買って下さり、多くの公演のチケットが早い段階で完売しています。
ありがとうございます。


2年ほど前に、「チケットを売る!」と決めて、全体のプランを動かし作ってきて、今好調な状態にすることができました。何故最近チケットが売れているのか、事業団のスタッフもきっとわからないでしょう。そうなるように考えて作り上げたのですが、まあ"勘ピューター"だろ?と言われれば、そういう部分もあります。
もちろん一つ一つの企画を、心を込めてお客様に満足していただけるように、全身全霊でお届けすることも忘れていません。


例えば、アンナ・ヴィニツカヤのリサイタルは1時間くらいで完売致しました。音楽ファンなら「まさか?」と思われたのではないでしょうか。日本では全く人気がなく、あまり知られていませんし、プログラムもマニアックですから。ヴィニツカヤはエリザベートで優勝した後、武蔵野で弾いてもらった「展覧会の絵」に僕はどうしても満足できませんでした。もし次に彼女と仕事をするときが来たら、彼女の真価を聴衆に届けたいという気持ちになりました。


そして、今回です。
プロコフィエフやシューベルトの一般には知られていないソナタがメインです。僕はチラシを作るときはほとんど歩きながら考えます。どうしたらヴィニツカヤの素晴らしさを分かってもらえるか、そう考えながら僕は空想と幻想の世界に入っていきます。どこを歩いているのかも分からなくなりました(たぶん根津あたり?)。ヴィニツカヤの弾くプロコフィエフの音が巨大な円錐形の氷の塊となって、僕に突き刺さります。何本も何本もコートの上から。僕はヨロヨロと歩き、苦しくてどうにかなりそうになっていると、チラシが頭の中で出来上がりました。電車の中で頭の中でできた文を紙に書いてチラシにします。お客様にヴィニツカヤの音が伝えられたら・・・それが僕の仕事です。


信じられない話かも知れませんが、チケットを売れるようにすること、売れなくすることは、コントロールがある程度できるのです。今は2つ大きな理由があって、どうしても「チケットを売りたい」時です。1つの大きな理由は3・11です。もう1つは今にお話し致します。ずっとずっとチケットがとりにくい訳ではないと思いますので、暖かく見守って下さい。


さて、来月はミミリチとがーまるちょばという、ロシアと日本の、世界で活躍する2つのパントマイム・グループのチケットを売ります。ミミリチも他の公演は大ホールですが、武蔵野は470人の小ホール、がーまるちょばは350人の公会堂、このくらいだと端から端まで楽しんでいただけると思います。

 
 
ところで、女性はレストランで原価をよく見ていますね。立川のパセリ・ドゥーエ。確かに銀座の超一流店には味では一歩落ちるかも知れません。でも1050円のランチパスタにホタテがゴロゴロたくさん入っていて、「銀座なら2個よね」と女性達が押しかけます。デザートにちゃんとプリンがついて、その値段です。
 
 

明日はユラ・マルグリスが登場

投稿者:ヤマネ


昨日無事にユラ・マルグリスとアリッサ・マルグリスの兄妹二人は来日した。実は直前にオモチロイちょっとしたドタバタがあったがそれはまたの機会にでも。


妹でヴァイオリニストのアリッサは昨年、吉祥寺シアターでのダンス公演で演奏したのをお聴きになった方もおられるだろう。ハッピーな音楽を奏でる。兄のユラ・マルグリスはアルゲリッチなどと度々共演しており、「凄い」と言われながらも、なかなか日本では聴く機会のない名ピアニストだ。


ただいま二人は、武蔵野市民文化会館の一室でリハーサルをしている。この二人、近くに住んでいないどころか、めちゃくちゃ離れたところ、あさっての方角に住んでいる。兄はアメリカ、妹はドイツ(とベルギー)である。


とはいえ、音楽家は忙しく飛び回る。ユラ・マルグリスは今、5週間の演奏旅行まっただ中で、日本の後は韓国とかハンガリーとかその辺りに行くようだ。成田空港で会ったときにちょっと驚いたが、強烈に重い荷物を2個抱えており、さらにむちゃくちゃ重いバックパックも背負っていた。(たいていのピアニストは、荷物が非常に少ない。)


本人も自覚しており、「まるで女性のようにたくさんの荷物を持っているんだよ、ハハ」と笑う。だが、自分はどこに何を入れたかきっちりと正確に覚えている、とも言う。「あれを出せと言われればすぐ出るよ。」これはロシアで生まれたが、幼少の頃より長くドイツで育ったからかもしれないな、うむ、実によろしい、と首肯する私。


そしてアメリカに住むようになってからも既に20年と、長い。ロシア語、ドイツ語、英語はほぼネイティヴ・レベルだと言うから、では妹とはどの言語で話すか?と問うてみた所の回答が興味深かった。

「何語でもいいのだ」と言う。会話の内容によって換えるのだと。「まあ通常の会話はロシア語かもしれない。でも込み入った話はドイツ語でするし、軽い話題なら英語かな。」


二人の会話を聞いていると、実際にコロコロと言語が変わる。つい日本人同士英語で話すと背中がこそばくなり赤面して小声になってしまう私なんぞとは大違いだ。・・・え、一緒にするな?やっぱり・・・・(タメ息)。


日本で聴く機会のなかなかない名ピアニスト、ユラ・マルグリス、明日の武蔵野公演は完売しているが、14日(木)の群馬県高崎公演、15日(金)の名古屋公演はまだチケットがあるそうなので、都合の付く方、ぜひ足を運んでみて下さい。おもろいおっちゃんでっせ。


3.14(木)19:00 高崎シティギャラリー・コアホール  問合せ:027-328-5050
3.15(金)18:45 名古屋 宗次ホール  問合せ:052-265-1718
 
 

初めてのチケット電話。

投稿者:ひよこちゃん

本日はチケット発売日でした。
3/11公演のマルグリス兄弟が本日来日するということもあって、11時過ぎにはチケット電話の担当を他のスタッフに引き継いで成田空港に向かったのですが、その時点で「アンサンブル・ウィーン」が完売、「スメタナ・ピアノ三重奏団」も完売間近という状況で、「あらあら早いなあ」と思っていたら、先ほど戻ってきたところ「スメタナ・ピアノ三重奏団」は早々に完売していて、「ルノー・カプソン」も残券僅少(お求めの方は今すぐご予約を!)で、ありがたいやら驚くやらまあなんとやらといった感じでございます。本日も沢山のご予約ありがとうございます。


2年前の4月よりこちらの武蔵野市民文化会館で働き始めたのですが、働き始めたその日にはチケット予約システムの使い方を教えられ、「じゃ、明日発売日でいっぱい電話かかってくるから頑張ってね」と、早速放置?されたのを思い出しました。(でも何事もなく乗り切れました。)
チケット予約システムは1年半くらい前に新しいものに代わったのですが、以前のやつはかなり旧式のもので、初めて知ったパソコン用語が「Windows95」という世代の私には、全く未知なるものでした。インターネット予約もまだ始まってなかったですし、もはや隔世の感があります・・・。


初めての予約電話の時に売り出した公演は、そのときのInformation冊子を引っ張り出して確認すると、


・樫本大進 with ベルリン・バロック・ゾリステン
・トーマス・オリーマンス バリトン・リサイタル
・ユリウス・キム ピアノ・リサイタル
・ストーム・ウェザー・シャンティ・クワイァ
・第107回武蔵野寄席


の5本でした。


樫本大進さんが出演する公演が大ホール公演だったこともあって、電話が途絶えることなく午後まで鳴り続け、早速お仕事の洗礼を浴びたような気がしたのを覚えております。クラシック音楽の興行が好評だとは面接の時に伺っていたのですが、正直言ってまさかこれほどだとは思いませんでした。(というか、チケットの予約電話を受けるなんてことすら、働く前は想像してなかったのですが・・・。)


この数日とみに暖かくなり、周りは皆さま花粉症に悩み、すっかり春到来ですね。
来月4月にはまた市民文化会館にも(そして他のホールにも)新しいスタッフが配属される(と思う)のですが、その方達もチケット発売日にはちょっと面喰らうのでしょうか。来月の最初の発売日は4/6の予定なので、ちょっと時間もあるし皆さますっかり慣れているのでしょうか。私はあまり人に教えるのが苦手だ(し、新しい方が年上の可能性も十分ある)から絶賛ノータッチなので、あ・と・お氏筆頭に皆さまが教育なさるのを、横からニヤニヤと眺めていようと思います。
 
 

武蔵野シティバレエ 出演者オーディションのお知らせ!

 

投稿者:I.D

毎年一回、11月に公演を行っている「武蔵野シティバレエ」は現在、次回公演『ロミオとジュリエット』(全幕)の出演者を募集しています。

 

今年の振付は佐藤宏さん。佐藤さんは1987年の第1回定期公演『眠れる森の美女』(全幕)の時から、実行委員として参加しており、27年にもわたって武蔵野シティバレエを支え続けています。

 

武蔵野シティバレエでの振付デビューは1988年に行われた豊科町公演の『コンチェルト』。これはフランツ・クロンマーの「2つのクラリネットのための協奏曲 変ホ長調 Op. 35」にオリジナルの振付をしたもののようです。当時のパンフレットには「白と黒、光と影をテーマに各楽章ごとに分解し三つのパートで構成された作品。2人のエトワール、4人のソリスト、8人のコールドバレエが、各々白と黒に分かれて踊ります。曲は本来の演奏と異なり、第三楽章から順に第一楽章へと逆に演奏されていきます。」とあります。この解説を見ただけで佐藤さんが、当時から(現在も持っている)佐藤さん独自の世界を確立していたように思えます。

 

その後の佐藤さんの武蔵野シティバレエでの振付作品は次の通りです。

佐藤さんがいかに精力的に振付をしてきたか良くわかります。

1991年、『真夏の夜の夢』(メンデルスゾーン)

1992年、『DUETTO』(グリーグの「ホルベアの時代から」を使用した作品)

1993年、『モルダウ』(スメタナ)

1995年、『コンビネーション』(ラフマニノフの「3つのロシアの歌」を使用)と、『ホワイトゾーン・アウト』(ヴィヴァルディの「四季」を使用)

1997年、『FISIONS FIRST STEP』(シューベルトの「アヴェマリア」とクロノス・クァルテットの「Pieces of Africa」を使用)

2001年、『Heavenly Body』(オッフェンバックの「パリの喜び」を使用)

2003年、『Les Fees de lair』(「レ・シルフィード」を独自の視点で捉えた作品)

2008年、『レ・スリ Les Souris』(「くるみ割り人形」をねずみの側から捉えた作品)

2011年、『ユーピテル Jupiter』(モーツァルトの「交響曲第41番」を使用)

 

今回の『ロミオとジュリエット』は佐藤さんにとって武蔵野シティバレエでは初めての全幕作品となります。振付的にも物語的にも、既成の『ロミオとジュリエット』にとらわれることなく、自由な発想で創り上げていくとの意気込みも届いています。

 

また、佐藤さんは“LA DANSE CONTRASTEE”というダンス・カンパニーも主宰しており、こちらでも次々と作品を発表しています。HPには佐藤さんのプロフィールと、LA DANSE CONTRASTEEの動画もあります。

 

このような佐藤宏さんを中心に創り上げていく「第28回 武蔵野シティバレエ 定期公演」。ひとりでも多くの方がオーディションに参加してくれたら嬉しく思います。

 

オーディションの詳細はこちらをご覧ください。

http://www.musashino-culture.or.jp/ticket/archives/28.html

これまでの武蔵野シティバレエの全チラシを掲載したブログはこちら

http://www.musashino-culture.or.jp/weblog/2012/11/27-1.html

 

 

新聞で。

投稿者:あ・と・お
 
今日は、チケット発売日でした。たくさんのご予約のお電話/インターネットでのお申し込み、ありがとうございました。
 
最近(ちょっと前になりますが)、新聞のおくやみ欄に武蔵野のステージに上がった方々の名前を見つけました。
 
ひとり目は、フランスの名オルガニストのマリー=クレール・アラン。パイプオルガンというと、まずこの人の名前を頭に思い浮かべる方も多いのではないかと思います。バッハのオルガン作品の全曲録音を3度も残した超人です。フランス古典から現代までとレパートリーは幅広く、兄ジャン・アランの作品もよく取り上げていました。ジャン・アランの全作品録音も2度おこなったのではないかと思います。その他にも録音は膨大な数にのぼると思います。日本にも何度も来日していますが、武蔵野には2004年のオルガンコンクールの際に審査委員として招聘しました。その時、すでにかなりのご高齢でしたが、凛とされていてオーラが出ていましたね。リサイタルはおこないませんでしたが、兄ジャン・アランのオルガン作品についてのマスタークラスを開催いたしました。オルガン界からまたひとり巨匠がこの世を去り、残念です。
 
もうひとり、バッハ研究で世界的に知られている小林義武氏の訃報記事もありました。武蔵野では2007年にオルガニストのジャン=クロード・ツェンダーを招聘した際におこなったマスタークラスで通訳をお願いしました。おふたりは旧知の仲で、ツェンダー氏の希望で小林氏に依頼しました。長年、ドイツ・ゲッティンゲンにあったバッハ研究所で研究員を務められ、バッハが楽譜を書いた紙の透かし模様や、音符の筆跡などから、作品の成立年代や成立過程を研究されていたことで知られています。地道な研究ですよね。著書の中で、世界中に散らばっているバッハの自筆譜のほとんどすべてを実際に手に取って研究されたとおっしゃっています。日本人の研究者がバッハ研究の最前線で活躍されていたというのも大変誇らしいですね。
 
と、書いてみたものの、おふたりの大きな足跡の全容を私めごときがまとめるのは難しいです…。ここに、wikiで引用するのは気が引けますが…。機会があれば、ぜひ、実際にCDを聴いたり、著書を読んでみたりしていただけるといいかなと思います。
 
マリー=クレール・アラン
 
小林義武
 

深く考えること―知性と共に生きる

投稿者:Director's choice


「あなたの好きな字を一字、漢字で書いて下さい」


そんな質問をされたことはありますか?
ある教室で子どもたちは、それぞれに「秘」とか「家」とか色々な字を書いていました。
僕ならどんな字を書くのかなぁ・・・と考えると、「深」という字になりそうです。


最近はインターネット社会になり、ものを深く知らなくてもすぐにテクニックが手に入ります。でもすぐにできてしまうので、そこから先には行かないし、行くことを求めませんね。
古楽的アプローチとか、色々わかった気もしますが、それが本当に心から出るものか・・・。
深く考え、叡智を求めるタイプの僕はすっかり少数派になっています。いや、学生の時でも(30年前!)すでにそうだった気がします・・・。


ギル・シャハムが演奏している間、彼が年を追うごとに心技体ともに素晴らしい人へと成長していることを思い、「ああ、なんて深い音楽・・・」とポロポロと涙を流してこんな事を考えていました。


僕は公務員ですから、誰でもできることをマニュアル通りやって、次の人に引き継ぐべきなんでしょう。ところが、あまりにものを深く考えてしまい、人とどんどん違ってきて、ここの事業も他の会館とは違うものになってしまいました。


さて、来月ミハル・カニュカというチェリストの無伴奏リサイタルをやります。バッハ、コダーイ、ブリテンをやりたい・・・という人が圧倒的な中、モザイク模様のように色々な作品を組み合わせた、いくつもの"種"があるようなプログラムを出してきました。既成概念にとらわれない生き方、そして音楽、それが毎日の流れ行く人生の中で静かに行われるカニュカの世界。1000円なのでよかったら聴いて下さい。


知の料理と言えば、西麻布のレフェルヴェソンスですね。
慶應の経済出身のシェフで、知の冒険を感じる方と、優しい完成された皿に満足される方に分かれるかも知れません。僕は好きですよ、カンテサンスほどの冒険ではありませんが、知性の在り方がカンテサンスのシェフとは違っているだけで、感じるものは大きいです。少し高いですが、それだけの価値はあります。そう、ギル・シャハムのように。

 

褒めてもちあげ、もっと褒め

投稿者:ヤマネ


前々回「次回に続く」と書いた話と、まあ少しつながりはあるかも知れませんが、今回もまた、直接的に続きの文章ではありません、すいません。


職業柄もあってそれなりに多数の音楽家の演奏を耳にしています。そうすると、だんだんと新鮮味を忘れ、すり切れ、「感動」という言葉が置き去りになりがちです。これは良くないことだなと自覚をしているのですが、そうは言っても、無感動になったり、シニカルになったりと、ネガティブな感想を持つ事があります。


そんなときはヨーロッパでの体験を思い起こします。どんな体験かと言うと、「褒める」体験なのです。彼らは褒めるのです。左様、演奏を聴いたらそれこそ文字通り、まず褒めるのです。というか褒めまくります。(もちろん全ての人がそうだという訳ではありませんが。)


そこまで凄い演奏ではないな、むしろイマイチかも?とうっかり不肖私が僭越ながら思ってしまうような演奏でも、褒めまくります。神様のような大ピアニスト(それこそ皆さんが絶対ご存じの天才)が、他人の演奏を褒めまくっているのを目の当たりにして、最初は驚きましたし、もっと率直に言うとショックでした。「え?そうなの?何でやねん?」と若く生意気な私は、言葉を失ってしまったわけです。


脱線しますが、その方に「ねえねえ私の今の演奏どう思う?ていうかあのピアノ、響きがないと思わない?不満やわー。」(←英会話)といきなり前置きなしに普通にフランクに語りかけられ、動転して舌がもつれ何も言えなかったという極めて恥ずかしい経験もあります。(遠い目・・・・)


欧米の教育は、まずよかった所を褒めて、それから問題点を喚起する、というやり方が基本だとはよく言うことですが、私もやがて、ただ彼らがべた褒めしているだけではなく、どこそこが素晴らしいとか、そういう風に褒めている事が判るようになって行きました。つまり加点方式なのですね。これは実に前向きだ。建設的だ。いいなあー。


と言うわけで私が今、最も生で聴きたいピアニストは、グリゴリー・ソコロフです。

  
 

ライヴ受難の時代?

投稿者:ひよこちゃん


1ヶ月ほど前に我が家のパソコンが壊れまして、しばらくパソコンなしの生活を送っていたのですが、いよいよ不便だなという気分になりまして、最近家電屋さんに行ってあれこれと下調べを行っております。そこで驚いたのは、最近のパソコンは結構当たり前のようにブルーレイ・ディスクに対応しているのですね。


私自身はブルーレイなんて高価なものにはさっぱり縁がなく、正直言ってDVDとの違いがどんなもんなのかはよくわかっていないのですが、ブルーレイ体験者の皆さまは口を揃えて「DVDより断然キレイ」とおっしゃいます。アナログ放送と地デジのようなものでしょうか?(これに関しても正直どのくらい違うのかわからないのですが...。)
ブルーレイって私の中では、DVDの買い替えを促すほどの性能ではなく中途半端、というイメージだったのですが、どうやらそこそこ一般的になってきているようです。どんなものを観るのですか?と訊ねて、もっとも「へぇ」と思ったのは、ライヴ映像、という回答でした。


その方が言っている"ライヴ"というのはクラシックではなく、ポップス系やロック系みたいですが、DVDとは画質が全然違い、その分興奮?もDVDで見るのとは段違いのようです。(なんでも自分の行ったコンサートの映像を観ることもあるとか!)
私もライヴ映像は確かに見ますが、Youtubeでコソコソ見る(というか、音だけ聴くことがほとんど)程度なので、たぶんその方の感動がいまいちピンときていないと思います。しかし、それだけ画質が向上していて、ライヴ会場の興奮まで味わえるとなると、いよいよライヴに行く意味というのが問われてきます。
私たちは何故、時間や場所の面で制約を受けるコンサート会場に足を運ぶのでしょうか?


私は、その理由は「空気」にあるのではないかと思います。


例えば、私どもが主に開催しているクラシック音楽の場合は、会場までいらっしゃる方とは、基本的には演奏家の"音"を、生音を聴きにいらしている場合が圧倒的だと思います。(まあ、たまには演奏家の容姿がタイプだからとか、そういうのもあると思いますが。)
音というのは空気の振動によって伝わってくるもので、ピアノや弦楽器は弦の振動が空気中を伝わり音として耳に届き、管楽器は口から吐き出される演奏者の息が生み出す震えがやはり音となって私たちの耳に届きます。この「演奏者と楽器が生み出す空気の震え」そのものを感じられるのは、コンサート会場だけです。CDやDVD、もちろんブルーレイから出てくる音ももちろん同じメカニズムで音として耳に届くのですが、そこには演奏者はいませんし、その音の根源となる「演奏者と楽器が生み出す空気の震え」そのものはそこにはありません。結局のところ、それはデータ化されディスクの中に閉じ込められた、音の記録に過ぎません。


このことは、クラシック音楽に限らず、ポップスやロックのコンサートでも同じ事が言えると思いますし、演劇や落語なんかも同じではなかろうかと思います。
演奏者、俳優、噺家、彼らの発する空気・声・熱量、そういったものはデータ化され、ディスクの中に入れられると、ほとんど全てが消えてしまうものです。劇場でとても感動したお芝居をDVDで見て、とてもがっかりした経験があります。劇場で感じた張り詰めたような緊張感、舞台から伝わってきた感情の昂ぶりみたいなものが、DVDでは綺麗に濾過されていました。


だから、みなさん、どんなに高画質になってもブルーレイじゃ伝わらないものが沢山あるんデスよー!!!


と声を大にして言いたいところですが、必ずしもそうも言えないのが難しいところ。
面白いものは映像で見ても面白いものが多いですし(まあ、それでも生で見るよりも何割か感動がさっ引かれているとは思いますが)、それに映画や写真のような複製を前提としたメディアは、その空気感をできるだけ掬い取っています。


先日、今年のアカデミー賞が発表され、『レ・ミゼラブル』に出演していたアン・ハサウェイさんが最優秀助演女優賞を受賞していました。ほとんどの作品を観ていない中、たまたま『レ・ミゼラブル』は観たのですが、物語のラストの方でアン・ハサウェイ演ずるファンテーヌが結構久々に再登場するのですが、ここのアン・ハサウェイはまさにジャンヌ・ダルクのようでした。「ジャンヌ・ダルクを演じているよう」ではなく、まさに「ジャンヌ・ダルクそのもの」といったような雰囲気を漂わせており、アカデミー賞最有力候補の下馬評も頷ける素晴らしい存在感をスクリーンの向こう側から感じさせてくれました。


再生機器が進化を続けるなか、ライヴと複製のせめぎ合いはまだまだ続いていくでしょう。終わりを迎えたときにどちらが勝者のフラッグを持っているか、それは今のところ誰にもわかりません。