シャチのショー

投稿者:ヤマネ


お休みの日に、鴨川に行ってきました。鴨川シーワールド。そう、それはシャチであります、英語で言うところのGrampusグランパスであります。・・・えっ!名古屋グランパスって、シャチだったのか!!そうか、名古屋にはしゃちほこがあるな・・・?私は無知を恥じたのであります。


あ、でもorcaとかkiller whaleとかとも言うのか。そうだ。オルカ・・私の父が昔、そう言っていたのをじわじわと思い出してきました。


日本全国広しといえど、シャチがいるのは鴨川と名古屋だけだそうです。特別なのであります。素晴らしいことです。他にはない、というのは素晴らしいアドバンテージですね。不肖私達もつねに、他にはないこと、を考えながら公演を考えております。


私はイルカのショーやらアシカのショーやら、そういうのにめっぽう弱いです。涙が出てしまいます。すごいな、と思うのです。(何を考えてジャンプしたりバランスボールをしたりしているのだろうか、ともいつも考えますが)。あそこまで見事な芸を披露するためには、トレーナーともども、忍耐強い訓練が必要だったのだろうな、と思いを馳せると、頭が下がる思いになります。しかしいざショーとなりますと、トレーナーの方の顔つきも実に活き活きとしており、尽きぬシャチ愛が伝わってくるようで、胸が熱くなりました。パパ泣いちゃう。


芸術とも共通するところがあります。


たゆまぬ努力が必須。ただ練習するだけではダメで、正しく頭を使って練習をすること。大切です。そして日本一になろうとか、日本一でありつづけたい!そういう強い意志も大切なのではないでしょうか。日本一であるからこそ、入園料を払ってお客さんが来てくれるのでしょう。


さあ、お待たせしました!サマースペシャル!サマースプラッシュの時間です!!・・・シャチが尾びれだけを水面に出し、それをバシーンバシーン!と叩きつけ、海水を豪快にスタンドに向かい撒き散らす!うわっうわっうわーー!!


それまで私の肩で熟睡しておりました赤子は(水がかからぬよう客席最上段におりました。全地球の皆様どうぞご安心下さい)、水浸しになり退避する人たちの「ワ~」とか「キャ~」とか「ずぶ濡れ~」、そういう黄色い声にビクッと反応し、フワフワフワ、と泣き出したのでありました。


彼にはまだシャチは早かったようだ。

  

 

成蹊学園でコンサートを

投稿者:ヤマネ


そろそろ、皆様のお手元に来月の発売情報のDMが届き始めているのではないかと思います。一番目につく公演は何でしょうか?そうです、成蹊学園でバッハを聴く公演であります!!


成蹊学園、ご存知でしょうか。武蔵野市吉祥寺北町にあります。そしてそこには美しい大講堂があります。この冬、その大講堂で、当事業団主催によるコンサートを実施する事が決まりましたのでそのお知らせをいたします!ウラー!!


イタリア人のチェンバロ奏者で、ライプツィヒのバッハ国際コンクールで優勝しているフランチェスコ・コルティという方をお招きし、「バッハとその時代」をテーマとしたプログラムを披露して頂く事になりました。


12月20日(日)午後2時開演 フランチェスコ・コルティ チェンバロ・リサイタル


美しい煉瓦造りの建物、まっしろな壁、高い天井などが実に気持ちの良い空間です。学校の内部という、普段はまず足を踏み入れることのない場所での公演です。ぜひお越し下さい。チケットの発売は9/4金、午前10時からです(全席自由席)。ご予約お待ちしております!!ウラー!!


内部の画像が見たい!と言う方のために、特別に、中が見られるURLを貼り付けいたします(上から目線)。ぜひチラッチラッ、とチラ見して下さい。
http://www.kotobuki-seating.co.jp/cd/app/?U=/example/training/seikeigakuen.html


場所は吉祥寺駅から徒歩15分と、少し歩くのですが、いつも武蔵野市民文化会館に三鷹駅から歩いてきて下さっている皆様ならぜったい大丈夫!(いつも遠いところを有難うございます!!!!)。


成蹊学園は創立100年を超す名門。成蹊大学出身の有名人と言えば中井貴一、片桐はいり、銀河万丈、小池真理子、桐野夏生、石田衣良、高島彩、安倍晋三などの名前が挙がります(Wikipediaから個人的によく知っている名前を抽出)。


成蹊学園が武蔵野市吉祥寺に引っ越したのは1924年のこととありますから、90年以上の時が経過しているのであります。ウララー。

  
 

終戦直後のコンサート

投稿者:Lepi
 
 
 
戦後70年のシリーズで書いてきたブログも今回で最後です。
 
70年前の昭和20年9月14日、終戦から約1ヵ月後のこの日、オーケストラのコンサートが行われたことをご存知でしょうか。演奏したのは、日本交響楽団、今のNHK交響楽団で、場所は日比谷公会堂です。現N響の戦後初の公演会で、この日の公演の記録は、N響のホームページの演奏会記録に詳細に載っています。
 
NHK交響楽団演奏会記録 www.nhkso.or.jp/library/archive/index.php
 
そして、手元にこんなチケットの半券があります。昭和20年9月15日の日本交響楽団(現N響)の公演チケットです。えっ、1日違うのでは…。実はこのとき、9月14日、15日と2日間、同じ曲目で公演が行われています。
 
惜しい!初日のチケットではないのか!などと思ってはいけません。終戦からまだ1ヵ月、戦後の混乱期に、こんなに早く公演が行われていたこと。しかも2日分のチケットが売れたということ。終戦直後のイメージからすると驚くばかりです。チケットの紙や印刷も、結構しっかりしています。
 
当時の会場の雰囲気はどうだったのか、チケットはどこで売っていて、どうやって買うのか。初日のチケットは、なぜとれなかったのか。当時の公演会のもろもろを、もっと聞いておきたかったと思うばかりです。公演を実現する方たちの大変な努力があったと思いますし、聴きにいった人たちにもいろいろなドラマがあったと思います。そして、困難なときにも、音楽を愛する人たちと音楽を渇望する人たちが大勢いたのだということを感じさせてくれる資料です。
 

昭和20年2月25日と7月25日の青年日本交響楽団

投稿者:Lepi
 
 
 
さらに前回の続きです。
 
昭和20年2月27日の現・東京フィルのチケットとあわせて、この2日前の2月25日の日比谷公会堂のチケットもありました。青年日本交響楽団という交響楽団の印が押されていますが、この券は切られていなくて、未使用の状態です。こちらはプログラムも残っていなくて、曲目等は分かりません。また、この交響楽団がどういう楽団だったのかは、服部正さんが創設し指揮者を務めていたということ以外、うまく調べられませんでした。
 
この券の裏面を見ると、「警報発令の場合は延期致候追て後日開催日は提示可致候」と書かれています。東京大空襲の直前で、毎夜のように空襲を受けていた頃のことです。この一文で、厳しい状況下での公演だったことが感じられますが、券が切られていないのは、延期されたのか、それとも、個人的に行けない事情があったのかは分かりません。
 
この後の、昭和20年7月25日の青年日本交響楽団の公演の半券も残っていて、このときは聴きに行けたようで、券が切られています。こちらも、プログラムは残っていなくて、曲目等の詳細はわかりません。昭和20年7月25日といえば終戦まであと3週間。そんなときでも、日比谷公会堂ではコンサートが行われていたのですね。そのときには3週間後に戦争が終わることは分からなかったと思いますが、どんな公演風景だったのでしょう。
 
この券を持っていたのは、数年前に亡くなった私の義父ですが、当時19歳、大学生になったばかりで、昭和20年1月に徴兵検査を受けています。いつ徴兵されるか分からない時期、どんな思いで公演を聴いていたのか、当時のクラッシックの演奏会はどんな雰囲気だったのか、聞いておけばよかったと思うことはたくさんあります。未整理のまま、いろいろなものにまざって部屋の奥から出てきた遺品を整理していて、初めてこういう資料が残っていたことが分かったので、生前には聞けなかったことが残念です。
 

第8回希望演奏会 チャイコフスキーの夕

投稿者:Lepi
 
 
 
前回の記事に多くの方の「いいね」と「シェア」をいただきありがとうございます。
 
いただいたコメントの中に、この日の曲目が気になるというものがありました。実は、チケットのほかにプログラムも残っていました。これが一緒に残っていたので、あの半券が昭和20年に開催された東京交響楽団の「第8回希望演奏会」だったとわかりました。
 
「チャイコフスキーの夕」ということで、チャイコフスキーの曲が中心です。このときは、日ソ不可侵条約の下、ソ連はまだ敵国になってなかったからでしょうか。指揮は、ヘルムート・フェルメル、ドイツ人の指揮者です。同盟国のドイツ人とはいえ、外国人の指揮による、外国の曲、抱いていた戦時中のイメージとはちょっと違います。
 
音楽公演も戦意高揚に使われていた時代です。今週の日曜日、NHKのクラシック音楽館では、戦時下において、人々を励まし、元気づけるために、音楽公演が行われていたということが放送されていました。しかしその多くは、日本人作曲の曲を日本人指揮者の指揮で行なうことを求められたとも言っていました。
 
指揮者のこと、演目のこと、演奏された交響曲第6番「悲愴」が希望演奏会というのにふさわしい演目だったのか。プログラム下段に書かれた、胡桃割人形の演目変更の理由は何だったのか。このプログラムを見ていても、いろいろな疑問が出てきますが、今は知る由もありません。ただ、この時期に、このプログラムで公演を行うには、さまざまな苦労があったと推察されます。そして、厳しい状況下でもこうして音楽活動を続けるために、いろいろな努力がされていたことを感じます。
 

戦時下のコンサート

投稿者:Lepi
 
 
 
戦後70年の今年、さまざまな形で、当時のことが語られていますが、当時の音楽公演はどうだったのでしょうか。
 
手元にこんなチケットの半券があります。昭和20年2月27日、日比谷公会堂のチケットです。
 
この日演奏したのは、東京交響楽団ですが、今の東京交響楽団ではありません。この東京交響楽団、この公演の11日後、3月10日の東京大空襲で、練習所や楽器、楽譜すべてを消失してしまいます。そして、終戦直後の9月に東京都音楽団として再興、その後変遷を経て、東京フィルハーモニー交響楽団として現在に続いていると、東京フィルのホームページに載っていました。
 
戦争が激化する中、公演が行われていたこともそうですが、この券面を見ると、HIBIYA PUBLIC HALLとか、Orchestra Stallなどの英語が使われていることに驚きます。当時、こんなにおおっぴらに英語を使って大丈夫だったのだろうかと心配になります。
 
裏面を見ると、プレイガイド事業部という文字も。当時もチケットはプレイガイドで売っていたのでしょうか。そもそもプレイガイドという言葉を使えたのでしょうか。
 
戦争による空襲が激しくなる中、当時のクラッシックの演奏会はどんな雰囲気だったのか、英語表記は問題なかったのかなどなど、この半券の持ち主の生前に、もっと聞いておけばよかったと今さらながら後悔しています。
 

好奇心とは常に仲良くしていたい

投稿者:ヤマネ


年を取るとだんだんと好奇心がなくなってきます。


昔はあんなことやこんなことにまで感動し、箸が転がっても笑い転げる・・・ことはなかったにしても、いろいろと感受性が豊かだったかな?と思う事があります。


一昨日、武蔵野市民文化会館の大ホールで東京交響楽団を指揮したクリスティーナ・ポスカさんは何にでも興味津々でした。エストニア出身。現在はベルリンを拠点に活動を展開中。写真で想像していたよりも小柄でかわいらしい感じでした。


日本では英語があまり通じない、という事は前もって知って居られたようですが、どうサバイバルすればよいか、という事をお話ししているうち、わくわくするわー、という回答。いろんなトラブルがあると思うけど、レディー・トゥ・アクセプトですわ、とのことでありました。


1978年生まれと言うことは私より一歳年下。私も負けては居られませんね。


エストニアがどこにあるかご存知ですか。私はわかりません。きっとあの辺です。(Wikipediaにあった上の画像ご参照下さい。フィンランドのほぼ真下ですね。)エストニアの人口は140万ぐらいだそうで、東京は1,400万ぐらいいるかな、と言ったらオウ、とケラケラ笑っておられました。


エストニア語はフィンランド語やハンガリー語と同じ系列に属する言語だそうです。簡単に言うと「めっちゃむずかしい」という事になります。が、日本語には「漢字」と「ひらがな」と「カタカナ」の三種類のアルファベットがある、というとケラケラケラと笑っておられました。


高速道路で前を走るトラックを見て「じゃああそこに書かれている文字は何と読むのか?」と言われて考え込んでしまいました。「勢州」と書かれていたのですが、さて何と答えればいいでしょうね?漢字は一個一個に意味があるんですが、それぞれに読み方が複数あって、ルールはなくて、ただひたすら記憶するしかないんすよね(ポスカ一瞬絶望、のち爆笑)。


今調べましたら「勢州」とは伊勢の国の別称だそうです。なんだ、そうだったのか。適当に「読み方は判らないけど、アクティブでヴィヴィッドなカントリーとかそないな意味ちゃうか?」と言ったのはまあまあ間違いでした。この場をお借りしてポスカさんにお詫び致します。

  
 

ロストバゲージとコンサート

投稿者:ヤマネ


ロストバゲージ、ご経験はありますでしょうか。私自身はありませんが、こういう仕事をしておりますと、自分ではなく、招聘する海外アーティストの方のロストバゲージを体験することがあります。


先日も、名前は伏せますが、当事業団がお招きしたアーティストのスーツケースが届かずガッチョーン!と言う事がありました。まいにち世界中の空港で恐ろしくたくさんの荷物をあっちこっち振り分けているわけですから、そういうこともあります。残念ながらゼロにはならないでしょう。


で。現実的には「どうしよう」とまず顔を見合わせることになるわけです。コンサートをするわけですから、いろいろ必要なものがあるわけです。公演の2ヶ月前から滞在しているから「ちょっとぐらい遅れたってへっちゃらだよ心配すんなってアミーゴ!」という人はいません(【注】絶対いません)。


公演まであと何日かしかないけれど、衣装だの靴だの楽譜だの、楽器のお手入れセットだの(女性の場合はメーク用品など)すべてがスーツケースなんですよねアハハハという現象である。・・・ハハハ。一同乾いた笑い。心なしか目が泳いでいるようだ。


買わなくっちゃ、どこ行けば売ってる?(楽器について言えば、だいたい楽器はみなさん機内持ちこみですから、楽器がないという悲惨なケースはほとんどないです。)


それを調べておいた上で、航空会社から連絡が来るのを待つわけです。公演日までに来ればラッキー。来なければ当日買いに走る。


今回は公演までに届きましたからよかったですが、ツアーも半ばにやっと届いた、とか、ついに届かなかった!というケースもあり、そうなるとこれは、なかなか悲劇です。


神戸のダイエーでシャツとパンツを買った人もいます(これは幸い航空会社によって払い戻しを受けられました)。銀座ヤマハに楽譜を買いに行った人もいます。レンタル衣装で服を借りたケースもあります(この費用がどうなったか失念)。ロストバゲージではなく誤って他人がスーツケースを持って行ってしまったこともあります(間違った方ご本人が航空会社に連絡してきたことにより発覚、セーフ)。


音楽家とは旅する人たちですから、こういうトラブルには慣れているのでしょうか、思いのほかみなさん平然としている。


  
 

グラーフ・ムルジャというヴァイオリニスト

投稿者:ヤマネ


カッ!!と照りつける太陽。私はそんな暑すぎる夏が、嫌いです。(そして冬になると冬が嫌いです。)あー暑い暑い。


グラーフ・ムルジャの公演も盛況のうちに終了致しました。なかなか聴けないパガニーニのカプリスもよかったですが、個人的にはアンコールのバッハの美しさに背筋がぞくっとしました。うまい。


家庭の事情などで10年近く活動を制限していたが、これからはバンバン弾いていきたい、と語っていましたので、もしかするとこれからヨーロッパで名前を聞くようになるかも知れません。


モスクワからお越しのグラーフさん、日本は暑いかと聞くと、バカ言ってじゃないよめっちゃ暑いよ!と大汗をかきながら満面の笑みであります。私もそうかそうか、と満面の笑みであります。


まわりの人を笑顔にする、というタイプの人がいますが、まさにこの人もそう。ギョロリと飛び出した大きな目をクルクル回して、実に愉快そうだ。


1ヶ月前に楽器を変えたんだよ、ジョセフ・ハシッドの楽器なんだよユー・ノウ!ハシッド、ハシッド!!これはね、グランチーノの楽器さ。1707年製のね。普通グランチーノって、素晴らしいけど最高の楽器じゃないんだよね。でもこのグランチーノはスーパーすごい、グァルネリ・デル・ジェズよりもすごいよ。ストラドよりもね、と絶好調。ほうほうほう、と聞いているこちらも覚えずニコニコしてしまいます。何でそんなにスマイルなんだ?と不思議がられました。


それにしてもハシッドとは懐かしい名前を聞きました。ハシッド、というから誰かな?と一瞬戸惑ったのですが、そういえば大学の頃に先輩から絶対に聴きな、と言われたのがハシッドだったなあと、モヤモヤモヤ~ンと思い出した次第です。確か少女イダ・ヘンデル(!)の録音がカップリングされたCDでした。


ハシッド(1923-1950)は、かのジネット・ヌヴーなどと並ぶ超天才と言われながら精神を病んでしまい、若くして病死してしまった人です(ヌヴーも飛行機事故で若くして亡くなっています)。


懐かしくなって調べて、さっきまた聴いてしまいました。でもwikipediaを見るとハシッドは「クライスラーから貸与されたヴィヨームを使っていた」とあるんですよね。ハテ?・・・少なくとも一時期は使っていたのでしょう。


あー、今日も暑い暑い。


YouTubeを貼っておきますので皆さんもハシッドの音(1940年録音もちろんモノラル)を、どうぞお部屋を涼しくしながら聴いてみて下さい。演奏の素晴らしさにさらにゾクゾクッと来ますから。

 

ドレスデン・フィルをもっと応援したい

投稿者:ヤマネ


「オーケストラ公演"その後に"の恐怖」というのがあります。


それは、前にも書いたことがあるのですが、楽屋のあたりがゴミだらけになっている現象であります。


エールフランスにお乗りになったことはありますか。フランス人たちが飛行機を降りると、キャビンの中はゴミでぐっしゃぐしゃになっていませんでしたか。やんぬるかな、片付ける人はさぞや大変だろう・・・と私は思った記憶があります。それに対してルフトハンザ(ドイツの航空会社)の機内はずっと綺麗でした。(数少ない私のヨーロッパフライトからの経験です。間違っていたらすいません。)


ドレスデン・フィルの演奏会が先週の2日木曜日にありましたが、終演後の楽屋は、、、、何と言うことでしょう。めっちゃくちゃ綺麗でした。せいぜい紙コップがチラチラと数個発見せられた程度でありました。私たちは本当に心地が良かったです。


私の血液型はと言いますとお察しの通りA型でして、つい、部屋が汚い!と見境なくバンバン物を捨ててしまい、家人に「ちょい待ち、ロープロープ!どうどう、どう」とストップをかけられます。あるいは床にホコリを見付けますと"怒りの掃除機ショーや!"などと叫びながら、赤子が寝ているその間際までガンガン掃除機をかけます。意外にも赤子は掃除機が好きで、ニコニコするもんだなあ。・・・ま、そういう性格ですから、ドイツ人のこういう所は惚れますね本当に。ハラショーハラショー、オーチンハラショー。ダスビダーニャ。


ステージマネージャーの方のブログがありましたので貼り付けます。楽屋の様子は写されていませんが、搬入の様子などの写真を見ることが出来ます。整然としているドレスデン・フィル、最高さ!!
http://ameblo.jp/nemoken0211/entry-12045762579.html


来週はロシアのオーケストラがやってきます。ロシア人は誰でもがそうだと言うわけではないのでしょうし、ロシア人は面白い人たちだと思っております、と前置きを付けた上で申しますが、ロシア人は実に楽屋をきたな・・・(以下略)。しかもチャイコフスキーを3曲という長丁場であります、これはきっと乱れにみだ・・・・(以下略)。飛び散ったシュガー、テーブルにこびりついた珈琲のシミ、そのへんに投げ捨てられたペットボト・・・(以下略)、せめてゴミ箱に入れて欲し・・・(略)。


どうなることやら戦々恐々としているのであります。